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東京高等裁判所 平成5年(う)481号 判決 1994年2月02日

主文

原判決中、被告人甲に関する部分を破棄する。

被告人甲を懲役四年に処する。

原審における未決勾留日数中九〇日を右刑に算入する。

押収してある牛刀一丁(<押収番号略>)を被告人甲から没収する。

当審における訴訟費用の二分の一は被告人甲の負担とする。

被告人乙に関する本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、浦和地方検察庁検察官玉井直仁作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人神山祐輔、同渡辺一成、同桜井和人、同大治右、同髙野隆、同鈴木幸子、同堀哲郎、同深田正人、同村木一郎が連名で提出した答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

一  控訴の趣意

論旨は、要するに、原判決は、罪となるべき事実として公訴事実とほぼ同趣旨の事実を認定しながら、検察官の被告人甲につき懲役七年の、同乙につき懲役六年の求刑に対し、被告人両名に、いずれも懲役三年、五年間執行猶予の判決を言い渡したが、原判決の量刑は著しく軽きに失し不当であるというのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を加えて検討する。

二  犯行状況と犯行に至る経緯

原判決挙示の証拠によって認められる本件犯行の状況とこれに至る経緯は、おおむね原判決が認定するとおりであるが(一部証拠に基づかないと認められる部分がある。)、その概要は、以下のとおりである。

(1)  被告人甲は、昭和四〇年東京大学文学部国文学科を卒業した後、本件犯行当時まで二七年余の間埼玉県内の高等学校の教諭をしていたものであり、被告人乙は、埼玉県立の女子高等学校を卒業した後、生命保険会社に勤務するなどしているうち、昭和四三年被告人甲と結婚し、爾来家庭の主婦としてもっぱら家事に従事していたものである。

(2)  被告人両名は、肩書住居地で被告人甲の両親と同居の家庭生活を営んだが、昭和四三年一二月、本件の被害者である長男丙が生まれ、さらに同四六年次男丁が、同五四年三男戊が生まれた。同五七年被告人甲の母が、平成四年四月二二日に同被告人の父が死亡した後は親子五人だけの家庭となった。

(3)  丙は、小中学校当時は成績が良く、昭和五九年四月、埼玉県立浦和高等学校に進学したが、このころから次第に学業に意欲を示さないようになり、成績も低下の一途をたどった。これを見かねた被告人甲が「地道に勉強しないとこぼれるぞ」と注意すると、丙は「俺がこぼれるわけがないだろう」とうそぶき、父親の忠告に耳を貸そうとはしなかった。また、丙は、クラブ活動の軟式テニスも一年生の終わりころにはやめてしまい、ポピュラー音楽の作詩、作曲や演奏に熱中し、二年生の三学期になると、登校もやめ、自宅に閉じこもるようになり、被告人甲がたびたび高校くらいは卒業した方がいいから登校するようにと注意しても、テストさえ受けようとせず、結局、自ら学業を放棄する形で、昭和六一年三月中途退学した。

(4)  その後も丙は、部屋に閉じこもって音楽を聞いたり作曲に没頭する生活を続けていたが、同年七月ころになり、突然大学に行きたいと言い出し、猛勉強の末、同年一〇月大学入学資格検定試験に合格し、さらにその後も勉強を続けて翌六二年四月立教大学文学部英米文学科に入学した。丙の行末を案じていた被告人両名はこれをみて愁眉を開いたが、丙は、ほとんど授業に出ることもなく、もっぱらスキーのサークル活動に熱中し、日本スキー連盟の一級資格を取得し、冬にはスキーのインストラクターをするなどして、学業の方は再び完全に放棄してしまい、四年進級時には、単位不足で卒業できない状態に追い込まれ、平成二年三月同大学を中退するに至った。この大学在学中、丙は、アルバイトもほとんどしないで、学費だけでなく、遊ぶ金についても親に頼り、被告人両名は、丙の将来に強い懸念、不安を抱かざるを得なかった。

(5)  丙は、大学中退後、一時は司法試験を目指して勉強したこともあったが、間もなく諦めてしまい、たまにスキー仲間と遊びに出かける以外は家に閉じこもり、昼寝て夜起き出しては酒を飲むという生活が始まり、自分の思うようにならないことがあると親のせいだと被告人乙に当たるなど、悪態をつくようになった。このような丙の様子を心配した被告人乙は、同年五月ころには精神科医に相談に行き、同年七月には、丙を別の精神科医に連れて行こうとしたが、丙が渋ったため、やむなく一人で出かけて現状を話したところ、医師から退却神経症ではないかと言われ、勧められた本を買って読んだところ、丙の症状はそこに書かれてある「自己愛パーソナリティ障害」にぴったり当てはまると直感した。同月三〇日ころには、丙の部屋で本棚が倒れる音がすると同時に「ギャー」という悲鳴が聞こえ、その直後に、丙が真っ青な顔をして部屋から飛び出し、鳥肌を立て体を震わせながら、「怖い。何かとりついているようだ。自分が死ぬような感じがした」と叫び、霊か何かにとりつかれたような幻覚に襲われたと訴えたので、精神科医の診察を受けさせるという出来事があった。丙は、医師からその後も様子を見せに来るよう指示されていたのにかかわらず、また被告人らの勧めも無視して、再び行こうとはしなかった。

(6)  平成三年夏ころ、被告人乙は、旅に出ていた丙からの電話で、交際している女性との性交渉がうまくいかないという悩みを打ち明けられ、この話を聞いた被告人甲は、その性的不能は肉体的なものではなく心因性のものだと教え、医者に行き診断を受けるようにと忠告したが、丙は、このころから、酒を飲むとことあるごとに被告人乙に対して「こんな体に生んだのは親の責任だ。俺のは脳から来るものだ。こんなことが医者で治せる訳がない」などと難癖をつけ、家のドアを拳で殴ったり、椅子をひっくり返したり、家財道具に当たり散らす暴力を繰り返した。被告人甲も被告人乙からこうした言動を聞き、丙に対して、病院に行くように勧めるとともに、仕事をするようにとの忠告もしたが、間もなく始めたアルバイトも一か月を経ないうちにやめてしまい、デートなどに出かける都度被告人乙から小遣いをせびって行くという状況が続いた。

(7)  平成四年五月になって、丙は、焼肉レストランで週四日間、午後一〇時から午前四時半まで勤務するアルバイトをするようになったが、丙の家庭内暴力は収まることはなく、そのころ、被告人甲がビデオの音量を小さくするよう注意したのに対して、丙が怒りだし、焼酎を撒き散らしたり、ガスレンジのステンレスに椅子を投げつけるなどして暴れたこともあった。

被告人乙は、義父の看護や近所に住む実母の世話だけでもかなりの負担となっていたところに、このような丙の家庭内暴力に直面し、しかもそれが次第にエスカレートしてきたのをみて、このままでは丙の人生も破滅の他はなく、ひいては自分や次男、三男も共倒れの形で破滅する他ないのではないかと感ずるようになり、日々暗澹たる気持で暮らしていた。被告人甲も同じ思いで過ごしていたが、思いきって二七年余にわわたる教師生活にピリオドを打ち、すでに高等学校を卒業して建設会社に就職していた次男と丙を首都圏に残して、被告人乙と三男を連れて四国か九州に行き、余生を送ることにしよう、それが丙の家庭内暴力によって家庭が崩壊するのを防ぐ唯一の手立てであり、丙の立直りのためのよすがともなるのではないかと考えるに至り、被告人甲からこの意向をもらされた被告人乙もこの考えに賛成した。被告人甲は、同月一九日ころ、丙と次男に右の決意を伝え、平成五年三月をもって退職し、自宅も処分するつもりなので、それまでにそれぞれが自立した生活に入れるように準備しておくよう申し渡したところ、丙はその場ではあえてこれに異を唱えなかったものの、家庭内暴力をさらにエスカレートさせ、ビールを飲んでは被告人乙に「自分をこんな体に生んだ親が悪い」などと罵り、椅子を投げたり、グラスを叩き壊すなどの乱暴狼藉を繰り返した。

(8)  平成四年五月三一日、被告人甲の父の納骨法要が営まれたが、丙は親戚の人達が立ち去った翌六月一日の未明あたりからテーブルや椅子をひっくり返す等の乱暴を始め、可愛がってくれた祖父の死をきっかけに、少しは立ち直ってくれないだろうかと期待していた被告人らは、こともあろうにその祖父の納骨の日に暴れる丙の姿に愕然とした。被告人両名は、同日夜、丙がアルバイトに出かけた後、親の心を踏みにじる言動を日夜繰り返し、家庭の平和を蹂躙してかえりみない丙に対してはもはや万策尽き、家庭の崩壊を防ぐためには丙を殺害する他ないのではないかなどとどちらともなく話し出し、事態が好転せずこのまま推移する場合には、同月七日に予定されている姪の結婚式が終わった後に、出刃包丁で心臓を一突きする方法で丙を殺そうとの共謀を遂げた。

(9)  翌六月二日、丙は、深夜帰宅し、翌三日の早朝にかけて交際中の女性に電話をかけ、長時間話し合ったが、その直後コードレスホンの受話機を壊すなどの乱暴をし、さらに午前六時過ぎころ、食事の支度のため階下に降りて来た被告人乙が居間のテーブルの上を片付けようとした際、テーブルを横倒しにした上、被告人乙に対し、「めし」と叫んだので、同被告人は、急いで食事の支度をして台所のテーブルの上に並べ、「ビールを買って来い」との要求にも応じて、近所の酒屋から缶ビールを買って来て丙に渡した。被告人甲が出勤した後の午前八時ころ、丙が被告人乙に対して「ラーメンを作れ」と言ったので、同被告人がラーメンを作って台所のテーブルの上に置くと、丙は少し箸をつけて「まずい」と言いざま、どんぶりごと台所のドアめがけて投げ捨て、被告人乙は泣きたい気持を抑えて、黙ってその後始末をした。その後、丙は、被告人乙に対し、「彼女とは別れた。てめえら四国に逃げようたってそうはさせないぞ。あいつの退職金だって皆使わせてやる。一生死ぬまで苦しめてやるからそのつもりでいろ。お前らは塩飯でも食え。その分浮いた金を俺によこせ」と言って退けた。

被告人乙は、藁にも縋る思いで、同日昼ころ、大宮市内の祈祷場に赴き、丙の家庭内暴力の状況を説明して相談したところ、霊視能者なる女性から水子の霊が丙にとりついているので、このままでは主人が殺されてしまうなどと言われ、多額の謝礼の支払いを約して六月八日から三日間の祈願を依頼した。この経緯を被告人乙から聞いた丙は、被告人甲に対し、「お母さんから聞いたんだが、おろした子供がたたっていると言っているらしいけど、どうなんだ」と詰問し、被告人甲が水子のたたりなどということは迷信にすぎない旨福翁自伝の一節を引用しつつ話し始めたところ、丙は、これをさえぎるように、「そんなことをしやがって。そんな本の中のことを聞いているんじゃねえんだよ。てめえの考えを聞いているんだよ」と言った。被告人甲は、激しい憤りと深い絶望の中で、「お前、お父さんをどこまでおとなしい人間と思っているのか」と言い返したところ、丙は、「そんなこと関係ねえんだよ」とうそぶき、さらに、被告人乙に対し、「さっきのこと(前述の塩飯云々の暴言)をおやじに伝えておけよ」と言い、すでに被告人乙から丙のこの暴言について聞いていた被告人甲は、即座に「ああしっかり聞いたよ」と答えた。その夜、丙がアルバイトに出かけた後、被告人両名は、被告人乙が依頼してきた霊能祈願が終わっても丙の態度に変化がみられないときには、一日の夜に話し合ったように、丙を殺害する他はないとのそれぞれの決意を披瀝し合い、互いの意思を確認した。その後、被告人甲は、日付を空欄にした校長宛の退職願を書き、机の引出しに入れた。

(10)  被告人甲は、六月四日午前七時四〇分ころ出勤したが、その直後丙が酒に酔って帰って来て、自分で買って来た缶ビールを台所のテーブルで飲み始めたので、被告人乙が朝食を食べるかどうか尋ねると、丙は、「いらん」と断り、被告人乙に「ビールを買って来い」と命じた。被告人乙が缶ビールを買って来ると、丙はこれを飲み始めたが、やがて「こんな体にしたのは親のせいだ」などと言い出して、冷蔵庫を押し倒したり、台所の電燈の傘を壊すなどした。被告人乙は、丙が自室に入った後、散らばった電燈の傘を片付け、テーブルに倒れかかっている冷蔵庫をやっとの思いで元に戻したが、丙が台所に戻ってきて「飯を作れ」と言ったので、朝食を作って食べさせた。その際、被告人乙は、丙の立ち直りを必死になって願っている自分達の思いを丙にわかってもらいたいとの願いをこめて、霊能祈願の話をしたところ、丙は、「信じもしない祈願に行っても俺がおとなしくなると思ったら大間違いだ。そんな金があったら俺によこせ」とけんもほろろに言い返し、さらに、「俺の気に入るマンションを探して来い。月三〇万円よこせ」などと言った。被告人乙は、このような丙の言葉は、単なる脅しでもいやがらせでもなく、丙の本心であり、丙がもやは自力で生きて行く意思を完全に喪失しており、丙が自分達が破滅に追い込まれるまでどこまでもつきまとい、自分達を食い物にしようとしていると感じ、言い知れぬ恐怖、絶望、憤りに襲われるとともに、次男、三男を含む自分達を守るためにはやはり丙を殺害する他はないと考え、実家から電話して職場の被告人甲に対し、当日の丙の言動を伝えるとともに、右の決意を打ち明けた。被告人甲も、もはやこれまでとの思いから、帰宅後直ちに丙を殺害することを決意し、あらためて退職願を書き、職場のデスクマットの下にしのばせた上、被告人乙の実家で同被告人と落ち合い、被告人乙が実家の台所にあった出刃包丁(刃体の長さ約一五センチメートル)を和紙に包んで持ち出し、二人で自宅に戻った。

(11)  被告人乙は、台所で被告人甲に右出刃包丁を手渡した上、丙の部屋へ行き、就寝していることを確認して来て被告人甲に伝え、同日午前一一時四五分ころ、同被告人が出刃包丁を持ち、被告人乙が三男の机のそばからプラスチック製モデルガン(重量約1.5キログラム)を探し出して手にとり、二人で丙の部屋に入り、就寝中の同人に対し、被告人甲が出刃包丁でその胸部等を突き刺し、被告人乙が右モデルガンでその頭部等を殴打し、さらに、右出刃包丁の刃先が折れて被告人甲が別の包丁を求めるや、被告人乙が台所から牛刀(刃体の長さ約一八センチメートル<押収番号略>)を持ち出して被告人甲に手渡し、同被告人が右牛刀で丙の腹部及び胸部等を突き刺し、よって、そのころ、同所において、同人を胸腹部刺切創群に基づく失血により死亡させて殺害した。

三  訴訟趣意第一「本件は、被告人両命が再三にわたり事前謀議を重ねた上で敢行した事犯である」旨の論旨について

関係証拠によれば、被告人両名は、前記二(8)ないし(10)でその概要を認定したとおり、平成四年六月一日夜、「もう殺してやるしかないかな」「もう耐えられないから殺しましょう」などと丙を殺すことを話し合い、その実行の時期や方法も決め、同月三日夜には、その日の丙の乱暴や暴言を目の当たりにして、一日の殺害計画を確認し合い、さらに、翌四日、被告人甲が出勤した後の丙の言動から、被告人乙は、同日中に丙を殺害するしかないと決意し、「今日冷蔵庫を倒した。もうだめだわ」との電話連絡を受けた被告人甲も同日丙を殺害する決意を固めた上、本件を敢行したことが認められる。このように、本件は、所論のとおり、一時の衝動にかられた突発的な犯行ではなく、被告人両名が事前の謀議を遂げた上での犯行である。

もっとも、本件の謀議は、犯行の直前には確定的なものとなったが、それ以前の段階では、実行の時期を姪の結婚式が終わった後でとか、霊能祈願が終わっても変化がみられないときとか決めていたことにも表れているように、丙の態度に少しでも好転の兆しが見えれば取りやめになるようなものであり、最後の最後まで逡巡した末での決断である。その意味で本件は典型的な謀殺の事案ではない。しかし、被害者の予想外の乱暴等に直面して咄嗟に殺意を抱くといった事案に比べると、犯情悪質といわざるを得ない。

四  控訴趣意第二「本件は、強固な確定的殺意に基づく犯行であり、かつ殺害の態様も極めて残忍である」旨の論旨について

関係証拠によれば、前記二(10)(11)でその概要を認定したとおり、被告人両名は、前記三の謀議に基づき、殺意を確定的に固めた上、丙が就寝中であることを確認した後、被告人甲が出刃包丁を、被告人乙がモデルガンをそれぞれ手に持って丙に歩み寄り、被告人甲が出刃包丁で丙の胸部等を滅多突きし、その刃先が折れたことに気づくや、被告人乙に新たに持って来させた牛刀で腹部等を仮借なく突き刺し、被告人乙がモデルガンで丙の頭部等を滅多打ちして殺害したこと、丙の創傷は三〇か所を超え、モデルガンは粉々に壊れたこと、被告人甲は、途中、丙が「助けてくれ。俺が悪かった。お願いだから殺さないでくれ」と哀願したのに、これを一顧だにせず、「今更わかったって、もう遅すぎるんだ」「親を親とも思わない人間は親の手で死なせてやる」と息の根が止まるまで犯行を継続していることが認められる。

これらの事実は、所論のとおり、本件が強固な確定的殺意に基づく犯行であり、かつ殺害の態様も極めて残忍であったことを示しているといわなければならない。とりわけ、丙が今わの際の哀願をした際、被告人甲としては、たとえ丙の言動がことここに至らせもう遅いんだという思いであったとしても、ひるむ様子も見せない実の親からそのまま殺されてしまった丙の心情は察するに哀れであり、量刑上考慮せざるを得ない。

五  控訴趣意第三「被害者丙には、被告人両名から殺害されてもやむを得ないと認められるほどの事情は何ら認められない」旨の論旨について

原判決は、殺されてもやむを得ないと認められるほどの事情があったと判示しているわけではないが、この点はさて措き、所論は、丙の家庭内暴力は、対物暴力に限られており、しかも、その実態はさほど重大なものではなかったし、家庭の外では、それなりの社会的適応力を有していた旨主張している。

丙の家庭内暴力は、前記二(6)ないし(10)でその概要を認定したとおり、平成三年夏ころから始まり、その内容は、椅子、テーブル、冷蔵庫等を倒し、コードレスホン、コップ等を投げ、焼酎を撒き散らし、ガスレンジのステンレスや電燈の傘、台所の収納庫の扉等を壊すというもので、家財道具等の損傷状況が目立つほどではなかった点からみれば、さほど重大ではないとみる余地があるとしても、さきに認定したように、丙は、それらの暴力とともにあるいはその合間に、被告人らに対して酷い内容の暴言を浴びせており、被告人らが殺意を抱くまでに追いつめられて行ったのは、暴力だけではなく、丙の言動全体にあったと認められるから、丙の暴力を言動全体の中でみるときには、とくに平成四年五月中旬以降のそれは、かなり重大なものであったとみるのが相当である。もっとも、丙のこうした暴力は、期間的には本件犯行まで一年も経過していなかったし、家族の生命、身体に危害を及ぼすまでには至っていなかったことを指摘でき、目を転じて家庭の外での丙の言動をみると、他人に迷惑を及ぼすようなことは全くなかったし、本件当時、ミュージシャンになるべく、イギリスへの留学を夢見て(同人の枕元には留学に関する本が置いてあり、アルバイト先の同僚には、イギリスで音楽の勉強をするため貯金をしたいなどと語っていた。)、焼き肉レストランで真面目に働き、上司や同僚との折り合いも良く、相応の社会的適応力を有していたと認められる。

次に、所論は、原判決が、丙を一種の狂気、回復不能の状態であるとし、対人暴力に発展する事態も十二分に考えられたとしたことに根拠がなく、原判決は同人の実相を誤認している旨主張している。

当審において取り調べた医師山縣博作成の鑑定書(以下「山縣鑑定書」という。なお、弁護人は、弁論において、資料が原審一件記録のみであり、山縣博は、被告人らと一切面談していないなどと信用性を争っているが、被告人らと面談していないのは、検察官に被告人らとの面談を申し出たができない旨言われたからであって、面談を避けたわけではなく、また、一件記録のみが資料であっても、本件のような家庭内暴力に関して精神医学の専門家としての見解を述べることは十分できると思われる。)及び同人の当審における証言(以下「山縣証言」という。)によれば、丙は、素質的な性格異常者ではなく、環境要素によることが大と推定されるところの、おそらく境界型人格障害と診断される行動異常者であったと認められる。そして、山縣鑑定書は、「丙の家庭内暴力は、性的不能が引金になって起こったもので、その内容はそれほど過激なものではなく、治癒又は軽快の可能性が十分ある」旨の診断をしているところ、この鑑定は、丙の家庭内暴力が平成三年夏ころ性的不能を訴えたときから始まっており、その後も丙がデートから帰ったときや交際相手の女性と電話をした後に多く見られたことや、前記のように、丙の家庭内暴力が対物暴力に限られており、物理的にみる限りにおいてはその実態もさほど重大なものではなく、家の外では社会的適応力を有していたことなどとよく符合しており、十分信用できるといわなければならない。また、山縣証言によれば、丙の暴力が対人暴力に発展する可能性は、可能性があるというに止まることが認められる。そうすると、原判決が、丙は、精神的荒廃の極限に至っており、精神病とは次元を異にするものの一種の狂気と形容してもよく、情緒性、社会的適応性を回復することは不可能と言っても過言ではない旨判断しているのは、十分な根拠に基づくものとはいい難く、原判決が、丙の家庭内暴力は対人暴力に発展する事態も十二分に考えられるとしているのは、断定のし過ぎである。

六  控訴趣意第四「被告人両名には、本件犯行の動機において酌量すべき特段の事情は認められない」旨の論旨について

所論は、被告人両名は、丙の父親又は母親として丙の処遇及び家庭内暴力の改善をするために十分な努力を払ったとは認められず、原判決がいうように被害者による家庭崩壊を甘受するか、被害者を殺害するかの選択しか残されていなかったものではなく、本件は丙に対する憎しみからの犯行と認められる旨主張している

山縣鑑定書の記載をまつまでもなく、一般に家庭内暴力は親への甘えと憎しみが形になって現れているもので、救いを求める信号とも解釈できる。しかるに、本件における被告人らの丙に対する対応を通してみると、一番苦しんでいるのは丙自身だと丙の悩みを正面から受け止め、苦労を共にして生き抜こうと努力した形跡に乏しいといわざるを得ない。

前記五でみたように、丙の家庭内暴力は、性的不能がその引き金になっていると考えられるところ、このことは、丙との対応の中で被告人らに推察がついていたと認められる(被告人甲も、原審公判廷において「家庭内暴力をやめさせるためには、性の問題を解決するしかないと思った」と供述している。)。そうであるのに、被告人らの対応は、その性的不能は心因性のものだと教え、病院に行くようにと何回か忠告したに止まる。丙がこれに反発した状況は、前記二(6)で認定したとおりであるが、このような場合、家庭の中だけで解決しようとするのは諦め、自分達で駄目なら人に頼んででも粘り強く説得して専門医の診察を受けさせ、あるいはまた、性的不能の問題を含めてより広い見地から、関係機関を駆け回って知恵を借りるなど、もっと努力すべきであったと思われる。しかるに、前記二(5)で認定したように、平成二年五月ころと七月ころに被告人乙が精神科医に相談し、同月末ころ被告人両名が丙に別の精神科医の診察を受けさせているが、家庭内暴力が始まってから後は、被告人らがそのような努力を続けた形跡はない。また、世間体を気にすることなく被告人ら自身がカウンセリングを受けるなどして、丙に対する接し方に問題がないか考えてみようとした様子もない。とくに、被告人甲は、自らの知識経験を生かすなり、生徒指導担当の教諭に相談するなり、知人を頼るなどして様々な社会資源を活用できる立場にあったのにかかわらず、親しい同僚に話を聞いてもらった程度で、それ以上の努力をした様子はうかがい得ない。被告人甲は、「誰かに相談に乗ってもらいたいと思わなくもなかったが、結局はそんなにいいアドバイスは得られないんじゃないかという思いがあった」旨原審公判廷において供述しているように、打開の道を自ら塞いでいたともいうことができる。

もっとも、前記二(7)で認定したように、被告人両名は、本件犯行の約半月前に丙の自立を促す効果を期待して四国、九州への別居を決断し、これを丙に告げているところ、この決断は、被告人ら夫婦にとって相当の覚悟を必要としたと思われるから、被告人らの真摯な努力の現れと評価できるものであるが、結局それを実行しないまま本件犯行に及んだことは惜しまれる(丙は、周囲の人達に近々別居することになるかも知れないともらしていた。)。退職したり、遠方へ行かないまでも、一度別居して丙を突き放してみるのも一案であったと思われる。

また、丙は、被告人甲の面前で、自分は非常な自意識過剰であるとか、特殊な人間でまわりとは違うとか述べたことがあり(原審における丁の証言)、自分の性格の一端を自覚していたようであるし、被告人甲から自立を申し渡された際には、暖かいところへ行ったらいいとか、孫の顔も見られるかも知れないと言っており、時折、被告人乙に自分の作った曲を聴かせ、本件犯行の一日か二日前にも聴かせている。こうした事実は、いまだ親子の間の心の交流が途切れていないことを示していると思われ、これまで何回か丙にさえぎられて功を奏さなかったことがあったとはいえ、適当な機会を捉え、あるいはこれを作るなりして、もっと忍耐強く、被告人らが印鑑をあつらえて渡そうとしたような交流や対話を続けることができなかったかと考えられる。

このように、少なくとも家庭内暴力が始まってからの丙に対する被告人らの対応は十分ではなかったというべきである。したがって、被告人らが丙を殺害しようと決断する前に尽くすべき手立ては残っていたとみなければならないし、具体的な方法が思い浮かばなかったとしても、ここまで耐えてきたのだから、もっと長い目で見てやろうという気持を持続できなかったのかと思われる。いずれにしても、殺すまでのことはなかったといわざるを得ない。原判決が、被告人らの丙に対する接し方が世間一般の親のレベルからみる限り、非とすべきほどの欠陥は全くなかったとか、丙によって家庭が崩壊されるのを甘受するか、丙を殺害するかの選択しか残されていなかったとしているのは、所論のとおり、誤りであるといわなければならない。

次に、被告人甲が原審公判廷においてその内容に間違いがないと述べている同被告人の捜査官に対する供述調書の中には、「『えるせいなあ、てめえ』と憎しみを持って言う人間は許せない気持になったのです。親子である前に人間として誇りを持って生きているのに、子が親に対して馬鹿にする態度が断じて許せないので、産んだ親の責任で殺してやろうと思ったのです」(平成四年六月四日付け司法警察員)、「『てめえ』と呼ばれたのは初めてなので、もうこれ以上許すことは出来ないと思いました」(同月一一日付け司法警察員)、「私は、この『てめえ』という言い方に非常なショックを感じました。…私は内心強い怒りを感じましたが、それでも我慢して長男に対し、『お前お父さんをどこまでおとなしい人間と思っているのだ』と言ったのです…私は、人間として扱われていない『てめえ』ということを言われたり、器物を壊されたり、そんなことが許されるのかという思いであり、殺意というものが決定的になったのです」(同月一七日付け検察官・三〇丁からなるもの)という下りがある。これらの供述によれば、被告人甲が丙に対して殺意を抱いた動機の中には、丙に対する憎しみないしは怒りがあったものと認めることができる。所論は、被告人両名について本件は憎しみからの犯行であると主張しているのであるが、被告人乙についてはこれを認めるに足りる証拠はなく、被告人甲についても、本件がもっぱら憎しみから出たとまでは認められず、同被告人の殺意の中には、憎しみないしは怒りに発する部分も含まれていたと認めるのが相当である。

七  被告人両名の刑事責任と個別の情状

人の命が何よりも尊いことは今更いうまでもなく、本件においては前途ある青年の命を奪った点において、すでに被告人両名の刑事責任は重大である。このことは、被害者が実の子であっても何の逕庭もない。そして、前項までに検察官の主要な論旨を検討した中で明らかにしたとおり、本件は一時の衝動にかられた突発的な犯行ではなく、事前の謀議を重ねた上での犯行であること、強固な確定的殺意に基づく犯行であり、殺害の態様も極めて残忍であること、丙は境界型人格障害と診断される行動異常者と推定されるが、素質的な性格異常者ではなく、治療又は軽快の可能性が十分あったこと、それにもかかわらず、少なくとも家庭内暴力が始まってからの丙に対する対応は十分でなく、尽くすべき手立ては残されており、殺すまでのことはなかったといわざるを得ないこと、被告人甲については、殺意の中に憎しみないし怒りに発する部分も含まれていたことが認められ、これらは本件における悪質な犯情として指摘しなければならない。

他方、被告人両名に共通する酌量すべき事情は、以下のとおりである。

被告人両名が、本件犯行に及んだ経緯は前記二のとおりであって、犯行の経緯や動機には同情すべき点も多い。すなわち、丙は、高校を中退し、その後やっと入学して被告人らを安堵させた大学も中退してしまい、自立のために自分なりの努力は続けていたものの、性的な悩みに直面するやこれを親のせいだと言い出し、親の忠告に耳を貸さなかったばかりか、金をせびり、対物暴力や親を親とも思わない暴言を繰り返し、とくに六月一日から四日にかけては、言いたい放題、したい放題ともいえる狼藉に及ぶなど二三歳になっていた丙の側にもかなりの落度がある。被告人らはこれらの丙の言動によく耐え、被告人らなりに心をくだいてきたもので、もはや万策尽き、家庭の崩壊を防ぐためには丙を殺害する他はないと思いつめた心情は、短絡的に過ぎた点で相応の責任を負わなければならないとはいえ、被告人らの主観としては理解することができる。被告人らが殺意を固めたときの状況は、被告人甲と被告人乙とで程度の差はあるが、弁護人が弁論の中で指摘しているとおり、丙との葛藤の渦中にあって日々の応対に疲れ果てていたとみるべきであろう。

被告人甲は、教職を転職と考え、長年高等学校が生涯一教師との信念を貫き、情熱をもって生徒に接してきたため、多くの教え子から慕われ、自分の子供に対しても自主性を重んじる態度で臨み、誠実に生きてきた父親であり夫であった。被告人乙も、義父の看護や実母の世話を懸命にし、被告人甲によく尽くし、家庭の幸せを願う平凡な主婦であった。

その他、次男をはじめ被告人らの親族がおおむね同情的であること、被告人両名とも犯行後直ちに自首していること、被告人甲が教諭の職を懲戒免職の形で失った上、本件が広く報道されたことにより、被告人両名とも厳しい社会的制裁を受けていること、被告人両名に対し、八万通を超える嘆願書が寄せられていることも指摘しておかなければならない。

さらに、被告人両名には、次のような各別の異なる事情もある。

被告人甲は、最高学府を出、二七年余りにわたって高等学校の教師をしていたものであり、社会的経験が豊富で、物事を冷静に判断し対処できる立場にあった。そして、教育の場で青少年問題についても考え、様々なケースについて実践をしてきたと思われる。このような被告人甲が、たとえ犯行に至る経緯や動機に同情の余地があるにせよ、丙に憎しみをもまじえた殺意を抱き、当日の決行を促す被告人乙を思い止まらせようともしなかった。丙の殺害をどちらの被告人が言い出したのかは、証拠上必ずしも明らかではないが、仮に被告人乙が言い出したとすれば、これを諫めるべき立場にあったのは被告人甲であり、被告人乙が夫に全幅の信頼を置く従順な妻であってみれば、当日の決行も思い止まらせることができたであろうと思われる。また、「親を親とも思わない人間は親の手で死なせてやる」という考え方は、子を私物視するものであるだけでなく、丙が我が子であればなおのこと、丙の言動をもっと寛大な気持で受け止められなかったのか、被告人甲が教育者であるだけに責められるべきである。そして、丙を死に至らせる実行行為をしたのは被告人甲であり、今わの際の丙の哀願に手をゆるめることができたのも同被告人である。

これに対し、被告人乙はもっぱら主婦をしてきたもので、社会的経験は乏しい。そして、丙の暴力と暴言に直接対面させられた機会は被告人甲の場合より期間も長く、回数も多かったし、義父の看護と近所に住む実母の世話も重なり、被告人乙は、文字どおり、丙との葛藤の中にあって日々の応対に疲れ果てていたと考えられる。もっとも、被告人乙は、生みの親でありながら、当日の決行を被告人甲に促し、同被告人から代わりの包丁を求められるや、数本の包丁の中から鋭利な牛刀を選んで渡すなど重要な役割を果たしているが、当日被告人甲が出勤した後、丙から前記二(10)で認定した暴言を浴びせられ、恐怖、絶望、憤りをおぼえたことが無理もないことを考えると、被告人乙をそれほど強く責めることはできない。加えて、被告人乙は、現在も実母の面倒を見ており、三男がまだ中学二年生で、この二人が被告人乙の助けを必要としている。

このように、被告人甲については被告人乙よりも酌量すべき事情が少なく、本件犯行について問われるべき刑事責任は主として被告人甲が負うべきものと考えられる。

八  結論

以上検討してきたところを総合し、その他記録に現れている全ての事情を参酌すると、被告人甲については、刑の執行を猶予すべき事情があるとは認め難く、刑期の点においても原判決の量刑は軽きに失するといわざるを得ない。論旨は理由がある。

これに対し、被告人乙については、さきに判断を示した以外に所論の指摘する点を全て考慮しても、同被告人を懲役三年、執行猶予五年に処した原判決の量刑は、これを破棄しなければならないほど軽きに失して不当であるとは認められない。論旨は理由がない。

よって、被告人甲については、刑訴法三九七条一項、三八一条により、原判決中同被告人に関する部分を破棄し、同法四〇〇条ただし書により当裁判所においてさらに判決する。

原判決の認定した罪となるべき事実(ただし、原判決一五丁表六行目の「さらに」から末行の「右の」までを、「さらに、『俺の気に入るマンションを探して来い。月三〇万円よこせ』などと言った。被告人乙は、このような丙の」に改める。)にその挙示する法条を適用した刑期(刑の選択を含む。)の範囲内で被告人甲を懲役四年に処し、刑法二一条を適用して原審における未決勾留日数中九〇日を右刑に算入し、押収してある主文掲記の牛刀一丁は、刑法一九条一項二号、二項本文を適用して被告人甲から没収し、刑訴法一八一条一項本文を適用して、当審における訴訟費用の二分の一を同被告人に負担させる。

被告人乙については、刑訴法三九六条により、同被告人に関する本件控訴を棄却する。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤文哉 裁判官 木谷明 裁判官 平弘行)

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